ページの先頭です。
本文をスキップしてメニューを読む
みやこのエコツーリズム

宮津 茶六別館

戻る

1、高級旅館

休前日一人2食付で3万円を超える価格帯は、高級旅館に当たる。今まで、それだけのお金を払って事前情報収集して、確信を持って滞在しても、がっかりさせられる所も多かった。ここはこの料金に見合う、高いおもてなしとクオリティーに満ちていた。エコロジーと言っていないし、アピールもしていない。しかし、無駄のないおもてなし、質の高いおもてなしを目指し努力しているところは、皆エコロジーなのだと思える、素晴らしい宿だった。

2、小規模ならではの仲居さんのおもてなし

客室数12部屋しかない。仲居さんが一人ひとりお世話してくださり、到着から、宿を出るまで、一人の方が責任を持ってお世話くださった。とにかく、表示なるものはほとんどない。全部、仲居さんがきめ細かくお話、説明くださる。それがわずらわしいのではく、仲居さんを通じて、地元の方との触れ合いを楽しめる、仲居さんしか知らないようなその土地の話、観光ポイントも教えてくださる、お話し合いできたり、人との触れ合いを通じて、伝わる感動もたくさんある。仲居さんがインタープリター(通訳、ガイド)の役目を持っていると実感した。だから、このような、おもてなしスタイルの場合、仲居さんの力量が大変問われることになってくる。私が接した仲居さんは素晴らしい方だった。長らくこの仕事に誠実に携わってこられたことが、内面から伝わってくる。仲居さんの労働は過酷だ。夕刻からのチェックイン翌日のチェックアウトに至るまで、一人の方が受け持つ場合(小規模な高級旅館の場合ほとんどそうである)夕食のお世話からお布団の指示管理(お布団を敷くのは他の専門の方だが)まで、夜の9時くらいまで、翌朝は朝7時くらいから、朝食の準備、世話、チェックアウトのフォロー、客室の清掃管理など昼12時近くなる。高級ホテルで言えば、専属バトラーサービスという感じである。労働時間が非常に長く、それがシーズンだと連日続く。仲居さんのほとんどが、疲れもあって、同じことの繰り返しの中で、杓子定規の対応、表面上の機械的な対応になりがちである。それが、微塵にも今回の仲居さんに感じられなかったのは驚きでさえあった。「一期一会」という言葉を大切にしている施設は多いが、それを実践している所は少ない。毎日、お客様を迎える言葉はほぼ同じだけれど、それをどのように、「心がこもった」とお客様に感じてもらえるか、これは、仲居さんにとって非常に大切な能力と思う。60歳は超えておられるとお見受けしたが、着物姿から想像できないほど、機敏に優雅に、立ち居振る舞いされる。こちらの状況を先に読んで、予測し、可能な限りの応対をどんどん提案されるのだ。それが、全然押し付けがましくない。こちらが頼みたいなあとおぼろげに、無意識に感じていたことばかりだからだ。渋滞で夜かなり遅くなったため、言葉には出なくても焦る家族、お腹のすく小学生を子ども。その状況からすばやく予測して、茶菓子を素早く、部屋へ素早く、お風呂へ素早い誘導、夕飯子どもへの早いフルセッティング。同時に、宮津の周辺の話、旅館の魅力的な話、私たちへの気遣いを織り交ぜながら、慌しくなく、優雅で鮮やかな対応に、惚れ惚れしてしまった。仲居さんという高い職業意識の素晴らしさを初めて見せていただいた機会だった。

3、大浴場

広くはない、小さな大浴場だった。表示がないこの旅館において、おそらく館内唯一のお客様へのお願い表示が大きく洗い場の各蛇口にあった。「カランを真ん中の線まで戻してください。お湯が止まりませんので」という表示があった。非常に印象深く、節水を意識した。

4、館内のしつらえ

外観は普通の旅館という感じである。しかし、一歩足を踏み入れると、別世界の数奇屋づくりの室内が現れる。瀟洒な、至る所に希少な建材と工法を用いた、茶道の世界が広がっていた。旅は非日常を楽しむ時であると言われるが、正に、この空間は、非日常の世界を演出していた。玄関は、茶室の待合室の作りになっていて、クヌギの皮付きの柱。壁は鉄錆を入れた風合い豊かな土壁。あじろ格子の天井から、竹で綿密に編まれた籠の電球がぶら下がっていた。その横には、洋室があり、ソファーに座りながら、チェックインと抹茶とお菓子を頂く。トイレもすごかった。江戸時代のお殿様別邸のお手洗いとイメージするほどの数寄屋作りの伝統的なしつらえに感動してしまった。スリッパの音を防ぐため、スリッパはなく、ソックスが用意してあった。どこの旅館、ホテルに行っても、お花は必ず生けてある。しかし、取りあえず飾っている、花瓶に入れてあるという所がほとんどなのだ。大抵のお客はお花に心を留めることはしないし、重要度の高いものと思っていないだろう。しかし、この旅館の随所に飾ってあるお花を見て、非常に心を動かされた。季節感あふれる豊富な花材を使用して、和の茶道の心で、時間と手間をかけて生けてある。そのことによって、お花が、茶六別館のおもてなしの心を強く語っていることに驚いた。初めての経験だった。お花は正直だ。生け手の心を素直に表現することができる。子どもは、宿泊先のお花に、足を止めたことは今まで一度もなかったが、自ら足を止め、「きれいねえ。」とじっと眺め、手に触れてその場を離れようとしなかった。子どもも正直だ。知識はなくても、その心を受け止める力は、先天的に持ち合わせていると思った。

客室内も、伝統的な作りと和の調度品が、清々しい雰囲気を醸し出していた。日本の心、美意識を思い起させてくれる、そんな感性の高い館内である。日本の美意識は、例えば、イタリア美術、フランスの宮殿などのように、華美ではないゴージャスではない、むしろ押さえた心の内面と交流しあう美しさであり、美意識の中にその土地の自然への慈しみが共生している。自然を脅威と捉え、欧米のように自然を克服すべきものと捉えるのではない。周辺の自然を慈しみ、人々の生活の中に上手く工夫して取り入れることによって、豊かな心、高い文化を長年育んできた。エコツーリズムは、日本古来の日本人のこのような心を今に言い直した言葉であるとさえ私は思っている。

5、お食事

もちろん地元で取れた食材がほとんどである。茶懐石の心で出され、質の高くとてもおいしかった。一番感激したことは、ご飯はおひつでこなかったことだ。これはものすごく驚いた。いつもどこの旅館でも心苦しく残していて、とても辛かったから。仲居さんが、「ご主人お代わり、よそいできますね。すぐあつあつ持ってきますね。遠慮しないでくさいね。」と声かけをされる。食後「きゅうり巻きおしんこ巻き、お夜食、用意しましょうか。お子さんには、おにぎりを用意しましょうか。夜お腹減るでしょう。」と、お願いすれば無料で用意してくださる。きゅうり巻き、おしんこ巻きなど、手間も単価もほとんどない。気持ち一つで用意できるのだ。おそらく、おひつで出されても、おひつのご飯を全部食べることができる客など稀有だろう。そしておひつのご飯は間違いなく捨てられてしまう。「高級旅館というイメージがある以上、おひつでご飯を出さないと、けちけちしていると思われるから」と言った多くの旅館のオーナーは、考え方を変えてみても良いのではないだろうか。皆がやっているから私もやるではない。時代の環境、状況に合わせて、誠実に柔軟におもてなしを変化させていく気概は、不可欠だと思う。ましてや、これだ、環境が大切と言われる中で、おひつのご飯が今でも必要なのか、今一度考え直してほしい。「捨てられるご飯の代わりに、お夜食としてのご飯を必要に応じて聞いてお出しする。」この方がはるかに、質の高いおもてなしであり、環境にもやさしいと思われないだろうか。

6、JTBでトップレベルの顧客評価を長年にわたって受けている。無駄のないおもてなし質の高いおもてなしは、共存していると確信できる根拠の一つになるのではないだろうか。。

〒626-0017 京都府宮津市島崎2039の4

電話 0772-22-2177 ファックス 0772-22-2178

電子メール アドレス charoku@charoku.com

茶六別館